世界と日本の貨幣の歴史を解説

貨幣の画像

物品貨幣

人間に顕著に見られる性向の1つに、交換性向があります。
交換はまずモノとモノとの交換である物々交換の形態を取りました。
しかし、物々交換が成立するためには、「自分が欲しいモノを交換の相手が持っており、交換の相手が欲しいモノを自分が持っている」という欲望の二重の偶然の一致が必要です。

そのような偶然の一致はめったに起こるものではありません。
そのため、物々交換は限られたモノや地域でしか可能ではありません。
しかし、あるモノを誰しもが交換に受け取るようになれば、自分が持っているモノと交換いそのモノを受け取り、モノと交換に自分が欲しい物を手に入れることが可能になります。

このように、誰しもが特定のモノを交換のために受け取るようになれば、そのモノは交換手段あるいは決済手段としての貨幣として機能するようになります。

特定のモノとしては、当該の地域で多くの人が欲しがるモノが選ばれるのが普通です。
そうしたモノであれば、自分が持っているモノと交換に自分が欲しいモノではなく、その特定のモノを受け取っても、それを欲しがる人がたくさんいるため、その特定のモノと交換に自分が欲しいモノを手に入れることができる可能性が高いからです。

歴史をさかのぼると、ある共同体の中で安定的な使用価値を持っているのが貨幣として選ばれることがわかります。
たとえば、古代ゲルマン社会では牛が貨幣として使用されました。
牛のもともとの意味は財産で、英語の資本は牛(cattle)から派生した言葉です。
バイキングが横行した10世紀ごろのバルティック海岸地域ではリンネルの布地が、18世紀のピレネー山脈カタラーナ地方では穀物入りの袋が、それぞれ貨幣として使用されたという記録があります。

古代中国では子安貝が貨幣として用いられていたため、交換にかかわる漢字の部首には、売買、賠償、貨幣の貨など「貝」が使われています。
それらの他にも塩た砂糖やなめし皮などさまざまなモノが貨幣として使われたという記録があります。


日本の貨幣の歴史

日本では、縄文時代にすでに、やじり、稲布帛が一般的な決済手段である貨幣として利用されていたといわれます。

今日、私たちはモノの価格を値段と呼んだり、価格の高いものを「値が張る」と言ったりしますが、これは決済手段として使われた稲の「ね」に由来するといわれます。

また、貨幣の「幣」の部首に布切れをあらわす「巾」が使われているのも、布帛が貨幣として使われた名残であると推測されます。

袋、牛、子安貝、稲、布帛などの貨幣として使われたモノを物品貨幣あるいは商品貨幣と言います。
物品貨幣は決済手段としてだけでなく、使用価値を持っており、かつ、その使用価値が安定している点に特徴があります。
この安定した使用価値が貨幣としての安定した交換価値の源泉でした。


金属貨幣

しかし、物品貨幣は運搬や保蔵に手間がかかり、分割も難しいなど、決済手段として使うには欠点があります。
たとえば、稲や布帛などは品質を一定に保つための保蔵に手間がかかるばかりでなく、倉などの大きな保管場所を必要とします。
袋や牛などは交換する大きさが決まっていますから、必要なだけ分割することは困難です。

こうした物品貨幣の欠点を克服するために登場したのが、金、銀、銅といった金属貨幣です。
これらの金属を塊のままで貨幣として受け取る場合には、重さを測ったり、運んだり、分割したり、品質を評価したりするのに多大な手間がかかります。
そこで、これらの金属を貨幣として使う場合には、一定の重量に鋳造した塊とするのが一般的でした。
そのほうが保管したり、運搬したり、分割して利用する上で便利だからです。
このように鋳造された金貨、銀貨、銅貨などの金属貨幣を鋳造貨幣、略して鋳貨といいます。

金属貨幣に用いられる金属は貨幣以外にそれ自体の用途を持っています。
しかし、人々の間に、誰もが決済手段として受け入れるという信認があれば、決済手段として以外の用途がなくても、貨幣とし手機能します。
そのため、決済手段以外の用途はないが、保管や運搬のための費用がほとんどかからない紙幣や硬貨が、金属貨幣に代わって貨幣として使われるようになり、現在に至っています。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です