神社とは何か、お寺とは何か、神道の定義を解説

神社の画像

神社とは何か、お寺とは何か、という質問に正確に答えるのは難しいと思います。
これが仏教やキリスト教であれば、そのようなことはありません。
宗派によって解釈の違いはあっても、寺院や教会の意義や位置づけは明確なものです。
しかし、神社にそのような明確な定義をつけるのは至難の業なのです。

この曖昧さと多様性は信仰対象に関しても同様です。
仏は悟りで得た神通力をもって人々を救済する超越者であり、キリスト教の神は天地創造の主であり、最後の審判で善人を救済する救世主です。
ですが、神道はさまざまな性質をもった神々が混在しており、一文で説明することは難しいのです。

西行作とされる和歌に「何事のおはしますかはしらねども かたじけなさに涙こぼるる」というものがありますが、これは日本人の信仰のあり方をよく表しているといえます。
その実体や姿などはよくわからないですが、そこに拝むべき神が居ますことは感じられる、そういう信仰なのです。

実は、この「曖昧さ」が神道を理解する上で重要なポイントといえます。
曖昧というと悪いイメージがありますが、その多様な性質によって神道は他の宗教にはない懐の深さをもちえたのであり、古代から現代に至るまで日本人の心に根付いたまま枯れることがなかったのです。


神社は、その「何事のおはします」場所とまずいうことができます。しかし、それだけでは聖地と変わるところがありません。
神社は聖地でもありますが、積極的な機能をもった宗教施設でもあります。

その機能を一言でいえば、「祀る・祭る」ということになるでしょう。
しかし、それは神に加護を願うというだけではありません。
その猛威で人や作物に危害を与えないよう鎮めるという意味もあります。
ここにも多義的な曖昧さがあります。

さらにいえば祀りの場は神社に限られません。
田や畑も神祀りの祭場になるし、竈や便所も神を祀る場所です。

しかし、だからといって神社がなくてもよいというわけではありません。
神社という核があるからこそ、そうした信仰も成り立ってきたのです。


神道とは何か

神道の定義は難しい。
仏教であれば釈迦の教え、キリスト教えあればイエスの教えとひとまずいうことはできます。
あるいは、仏教は悟りを求める信仰であり、キリスト教を神の救いを信じる信仰だといえます。
しかし、神道にはそうした説明の仕様がないのです。

神道の説明が難しいのは、神道にはお経や聖書に当たる聖典が存在せず、それゆえに教義の根幹をなす「教説」がないからです。

では、神道はいかに信仰を伝承してきたのでしょうか。
実は祭がその役目を果たしてきたのです。
祭を通して、神話や神の性質、信仰の意義などが伝授されてきたのです。

祭を通してわれわれは神々が闊歩した古代へと戻り、神の降臨に立ち会うのです。
神社はまさにその祭儀の場としてあるといえます。

神道の神話や祭は理想化された古代を再現するものと述べましたが、それは国学者が考えたように純粋な日本人の信仰世界というわけではありません。
そもそも神道が宗教としてのアイデンティティをもったのは仏教の影響によるところが大きく、仏教との反発や共感を通して、教理や儀礼、社殿建築が成立してきたという歴史をもっています、
仏教伝来以前の神道についても、道教などの影響を受けていたことが知られています。
「神道」「神宮」「かんながらの道」という言葉でさえも、中国の古典に基づくといわれます。


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